パンを通して人を育てる。地域に寄り添い街にあいされる「かめぱん」の哲学
近所に素敵なパン屋さんがある街は、きっと住み心地の良い街。
美味しいパンはもちろんのこと、いつも温かく出迎えてくれる店員さんの笑顔も、通いたくなるお店に共通していることかもしれません。
今回訪れたのは、墨田区の立花と向島にお店をかまえる「かめぱん」。
「売っているのはパンですが、人の温かさとか笑顔とか元気とか、そういうものも一緒に届けていきたいです」
そう話してくださった三代目の佐伯信郎さんに、地域の方々から愛される秘訣を伺いました。
子どもの頃に忙しい母が「これ食べな」と作ってくれた惣菜パン
かめぱんのお店は、1952年に創業された立花店と、2005年に新たに作られた向島店があります。今回お邪魔したのは向島店。午前中のオープン直後から、お客さんがどんどん店内に入っていきます。
焼きたてのパンの芳ばしい香りに、「いらっしゃいませ!」という気持ちの良いあいさつ。なんだかここから最高な一日がスタートしそうな気分です。
店先には、道路に面したテラス席があり、買ったばかりのパンを食べることができるスペースも。春を迎えようとしている日差しを浴びながら、三代目としてお店を切り盛りする佐伯さんにお話を伺いました。
立花にかめぱんの前身となる「亀屋」が創業したのは、戦後まもない昭和27年のこと。佐伯さんの祖父が立ち上げ、伯父さんが修行に行っていた和菓子屋さんから暖簾分けをする形で、「亀屋」の屋号をもらったそうです。
ここで、「あれ?パン屋さんじゃないの?」と思った方もいるかもしれません。それこそが、かめぱんの歴史なのです。
「私の祖父が『自分の店で焼きたてのパンを売ろう』と決心するまでは、いろいろな食べ物を売っている地域の商店のような存在でした。創業当初はまだ配給があった時代で、仕入れもすごく大変だったそうで。お客さんが小麦や砂糖を持ってきてくれて、それを委託加工するという方法をとっていたのがパン屋業の始まりでした。ただ、そのやり方ではどうしても良質な原料でパンを提供することができず、祖父がいろいろ悩んでいた頃に、千葉県の市川市でパンを卸してくれるという話を聞きつけ、それからは毎朝市川まで自転車でパンを取りに行って売っていたんです。そのパンを卸してくれていたのが、今は業界トップの山崎製パンでした」
かめぱんの歴史は、まさに日本のベーカリー文化と共に歩んできたとも言えるかもしれません。今でこそパン屋さんは私たちにとって馴染み深いものですが、創業当時はパンを売るお店はかなり少ない時代だったことは、いうまでもありません。
そして、大きな転機となったのは、コンビニエンスストアの台頭だそうです。
「ちょうど1980年代の後半から1990年代に、コンビニがあちこちにできはじめて、このままでは競合が増えて、商売が厳しいだろうなと思った時に、うちの父が一念発起して、創業時と同じ焼きたてパンに戻したんです。早朝から夜遅くまでパン屋さんで修行をして、今のかめぱんが作られていきました」
佐伯さんが小学生の頃、お父さんがパン作りの修行に出かけている間は、お母さんがお店を切り盛りしていたといいます。
「両親が忙しく働いていたので、子どもの頃は『お腹すいた』って言うと母がその辺にあるパンをパパッとサンドイッチにしてくれて『これ食べな』って。当時はそんなパンが大好きでした」
こういった佐伯さんの子ども時代の原体験は、現在のパン作りにも生かされています。「かめぱんは、食べたいと思ったらすぐに出来立てが食べられる、家の台所のような存在でありたい」。バリエーションも豊富で、カレーパンやソーセージ入りのロングフランクなど、ごはんとしてもおやつとしても食べられるパンが並んでいます。
とはいえ、向島店と立花店では求められるパンの種類が少し違っているそう。距離にするとほんの2kmほどしか離れていないとはいえ、街の生活文化に寄り添ったパン作りをしているのです。
街の暮らしに寄り添うパンを。たった2Kmで変わる生活文化
「父から店を引き継いだばかりのころは、よくぶつかっていたんです。自分としては、都心のチェーン店のように流行りのクロワッサンやブリオッシュ、ハード系のパンなどを売った方がかっこいいし、そういうお店に憧れて目指していたんですが、実際に作ってみると全然売れなかったんです。
昔、立花店の周りには町工場がたくさんあり、職工さんやその子どもにとっては、すぐに食べられるサンドイッチやボリュームのあるコッペパンがすごく好まれます。これはまさに、ここで生まれ育った私自身と同じなんですね。お客様にもそんな気持ちで来てもらって、母が『これ食べな』とすぐに食べられるものを作ってくれたように応えていきたいんです」
一方で、2005年にオープンした向島店は、パン屋さんの居抜きを全面改装してスタートしました。
「元々は戦前からあった老舗のパン屋さんで、オーナーが高齢になったため引退するからと閉店してしまった場所を引き継がせてもらったんです。求められるパンの違いを実感したのは、向島店ができる前に、すぐ近くにある半田酒店さんで『ロングフランク』を取り扱ってもらったときでした。立花では一日15本ほどしか売れなかったのですが、向島では60本も売れたんです」
「それなら、こちらではハード系のパンをメインにしつつ、かめぱんならではの惣菜パンを出していこう」と決めた佐伯さん。お店の名前にもついている「石窯パン工房KAMEYA」として、石窯を使ったパンを焼く新体制がスタートしました。
パンのサイズも、向島店の方が実は少し小さめ。「ちょっとずつ色んなパンを食べたい」といったニーズに応えているのです。
また、かめぱんの地域に目を向ける姿勢によって新商品の「料亭たまごサンド」も誕生しました。
「向島は古くから続く花街としても知られているのですが、コロナ禍で休業を余儀なくされてしまい、困っているところがほとんどでした。その中の『料亭きよし』の女将さんから、『料亭のたまご焼きを使ってたまごサンドを作れないか』と相談を受けたんです」
料亭の板前さんが腕を奮って作る本格的なたまご焼きと食パンとのマッチングを最高なものにするため、甘さや出汁の量を調節してもらいつつ、食パンもモチっとした食感に何度も改良して、佐伯さんが「飽きるほど食べて作り込んだ」という逸品です。
「実は、墨田区で生まれ育ったのに、20代の頃はこの街がそんなに好きではなかったんです。街は路地が多くてせせこましいし、江戸っ子気質が『ガツガツしている』と感じてしまっていて。でも、こうしてお店を通して街の人たちとコミュニケーションをしていく中で、人の温かさや面倒見の良さが『いいな』と思うようになって。だから、積極的にコラボレーションをして、もっともっとみんなで墨田区の魅力を発信していきたいです」
そんな佐伯さんがかめパンを通して最も大事にしていることも「人」でした。
美味しいパンと、この街で暮らす子どもたちの未来を
「お店作りで一番大事にしたいのはスタッフですね。人が全てだと思っているので、人材教育には力を入れています。技術面だけでなく、それ以前の“人としてのあり方”も。あいさつや言葉遣いについては徹底して指導しています。どうしても技術だけが上がっていくと、驕りが出てきてしまうけれど、そうならないようにしたくて。人の良さというのが、お客様に対しての最大のサービスだと思うので、『必ず笑顔と元気をパンと一緒に持ち帰ってもらおう!』というコンセプトでやっています」
「パンを通して人を育てる」という考えのもと、食育にも積極的に携わっている佐伯さん。中学生の職場体験や、夏休みの子どもパン教室など、未来につながる活動を続けています。
そしてなんと、向島店の管理者として働いているスタッフさんは、佐伯さんの娘さんと同級生。小学生の頃に佐伯さんがパン作りを教えた出張授業がきっかけで興味を持ち、学生時代のアルバイトを経て専門学校に通い、かめぱんに就職したそうです。
なんとも素敵なエピソードに、佐伯さんがどれだけ地域と関わり、包容力を持ってかめぱんを営んできたかが分かります。
「売っているのはパンですが、それとともに人の温かさとか笑顔とか元気とか、そういうものも一緒に味わってもらいたいです」
優しく微笑む佐伯さんのその言葉に、かめぱんが愛される理由が詰まっていました。
温かな人柄に触れ、美味しいパンを手に入れられた日は、きっとごきげんになれるはず。
素敵なHello!が、今日もあなたに訪れますように。
(取材・執筆:山越栞)
住所 | 東京都墨田区向島3-39-8 Google mapで見る |
---|---|
TEL | 03-3625-2201 |
WEB | https://kameya-group.com/index.html |
SNS | Instagram , Twitter , Facebook |
※本記事に掲載している情報は、2023年2月時点のものです。
2